[ #59 ] 2010.05.03. Mon 11:00
5月2日(日)晴れ
南畑地区ぶらり水塚調査
NPO法人エコシティ志木の「水塚(みづか)の文化に学ぶ事業」の2年度目のイベントのひとつとして「南畑地区(なんばた:埼玉県富士見市)」の水塚調査が5月2日に行われ、参加してきました。
ここは志木・宗岡地区の上流で、同じく荒川と新河岸に囲まれた地域になります。
快晴のもと、参加者15名で、田植え間近の広大な水田地帯の中を歩き回ること約5時間!
3軒のお宅と難波田城公園内の保存水塚を見学し、お話をうかがうことができました。改修以前の荒川はこの南畑地区のすぐ上流付近で決壊することが多く、またここは純農村地でもあったため、水塚も近年までかなり残っていた地域です。
『日本残酷物語』というノンフィクションの古典的名著の「近代の暗黒」にも登場するほど、かつては厳しい生活があったようです。

こんな典型的な水塚が見られます。やはり水田がないと水塚の雰囲気が出ませんね。

納屋には避難用の小舟がつるしてあり、今でも使えるほど状態のよいものもあります。
水塚調査はあと2回あるそうで、次回は埼玉県朝霞市の内間木地区になります。
第1年度の簡単な報告書(非売品)はできあがっていますが、次年度はかなり詳細な報告書が予定されています。
[筑井信明(つくいのぶあき)LongviewNewsより転載]
→株式会社エヌケイ情報システム
南畑地区ぶらり水塚調査
NPO法人エコシティ志木の「水塚(みづか)の文化に学ぶ事業」の2年度目のイベントのひとつとして「南畑地区(なんばた:埼玉県富士見市)」の水塚調査が5月2日に行われ、参加してきました。
ここは志木・宗岡地区の上流で、同じく荒川と新河岸に囲まれた地域になります。
快晴のもと、参加者15名で、田植え間近の広大な水田地帯の中を歩き回ること約5時間!
3軒のお宅と難波田城公園内の保存水塚を見学し、お話をうかがうことができました。改修以前の荒川はこの南畑地区のすぐ上流付近で決壊することが多く、またここは純農村地でもあったため、水塚も近年までかなり残っていた地域です。
『日本残酷物語』というノンフィクションの古典的名著の「近代の暗黒」にも登場するほど、かつては厳しい生活があったようです。

こんな典型的な水塚が見られます。やはり水田がないと水塚の雰囲気が出ませんね。

納屋には避難用の小舟がつるしてあり、今でも使えるほど状態のよいものもあります。
水塚調査はあと2回あるそうで、次回は埼玉県朝霞市の内間木地区になります。
第1年度の簡単な報告書(非売品)はできあがっていますが、次年度はかなり詳細な報告書が予定されています。
[筑井信明(つくいのぶあき)LongviewNewsより転載]
→株式会社エヌケイ情報システム
コメント
水塚調査、お疲れ様でした。
難波田城公園ができるまで、そのすぐそばの田を借りて、グループでお米づくりをしていたのですが、そこの農家のおばあちゃんは、戦中、おじいちゃんが兵隊に行っていたときに洪水に逢い、1階の押入れの上の段まで水が来たといっていました。
舟もあったけど、2階にいて、水が引くのを待ったとのことでした。
内間木にも、まだ舟のある農家がいくつかあります。
宗岡と内間木の間の道は、かつての輪中堤なのだと思います。
宗岡は昔から人が住んでいたからなのか、そちら側だけは守りたいとの思いが強かったのでしょう。
力関係もあったのではないでしょうか。
内間木では、水塚ではなく家の敷地全体が高くなっているようですね。
内間木は金持ちが多かったから水塚ではなく全体を高くできたのだと、志木の方から聞いたことがありますが、それよりも、堤防で締め出されてしまったための自衛のような気がします。(F)
難波田城公園ができるまで、そのすぐそばの田を借りて、グループでお米づくりをしていたのですが、そこの農家のおばあちゃんは、戦中、おじいちゃんが兵隊に行っていたときに洪水に逢い、1階の押入れの上の段まで水が来たといっていました。
舟もあったけど、2階にいて、水が引くのを待ったとのことでした。
内間木にも、まだ舟のある農家がいくつかあります。
宗岡と内間木の間の道は、かつての輪中堤なのだと思います。
宗岡は昔から人が住んでいたからなのか、そちら側だけは守りたいとの思いが強かったのでしょう。
力関係もあったのではないでしょうか。
内間木では、水塚ではなく家の敷地全体が高くなっているようですね。
内間木は金持ちが多かったから水塚ではなく全体を高くできたのだと、志木の方から聞いたことがありますが、それよりも、堤防で締め出されてしまったための自衛のような気がします。(F)
2010.05.06 Thu 18:15 [Edit]