[ #75 ] 2010.07.19. Mon 10:27
[ #74 ] 2010.07.18. Sun 19:28
7月18日(日)
「お魚と遊ぼう」で川遊び

快晴の柳瀬川に30組の家族とスタッフが集まり「お魚と遊ぼう」を開催しました。
主催:(財)埼玉県生態系保護協会志木支部
共催:NPO法人エコシティ志木
協力:志木市立教育サポートセンター
その様子を写真でご紹介します。

一日のスケジュールを確認した後、まずは川辺のゴミ拾い、そして水に入って石などにくっついているカワゲラの幼虫など生き物を探しました。
お父さんの方が夢中になって、ちょっと時間オーバー。

そしていよいよ、メインイベントの魚取り。
魚がたくさんいそうな対岸へ渡ります。

ガサガサガサ!!!
「捕れるかな?」

「あ! 何かいるよ」

ナマズの赤ちゃんをゲットです。

たっぷりと魚たちと遊んだ後、獲物を手に再び元の岸へと、川を渡ります。
この体験は、子どもたちの胸にしっかりと刻まれたことでしょう。
そして、大人たちもそれ以上に結構楽しんでいましたよ。

ヤゴの抜けがらや、

ウシガエルのオタマジャクシもいました。

本日ゲットしたお魚たちの「お品書き」です。
外来種以外は、子どもたちにたっぷりと撫でられた後、また柳瀬川にお帰りいただきました。
「元気でね」
みなさん、楽しかったですか?
[ウキゴリくん]
「お魚と遊ぼう」で川遊び

快晴の柳瀬川に30組の家族とスタッフが集まり「お魚と遊ぼう」を開催しました。
主催:(財)埼玉県生態系保護協会志木支部
共催:NPO法人エコシティ志木
協力:志木市立教育サポートセンター
その様子を写真でご紹介します。

一日のスケジュールを確認した後、まずは川辺のゴミ拾い、そして水に入って石などにくっついているカワゲラの幼虫など生き物を探しました。
お父さんの方が夢中になって、ちょっと時間オーバー。

そしていよいよ、メインイベントの魚取り。
魚がたくさんいそうな対岸へ渡ります。

ガサガサガサ!!!
「捕れるかな?」

「あ! 何かいるよ」

ナマズの赤ちゃんをゲットです。

たっぷりと魚たちと遊んだ後、獲物を手に再び元の岸へと、川を渡ります。
この体験は、子どもたちの胸にしっかりと刻まれたことでしょう。
そして、大人たちもそれ以上に結構楽しんでいましたよ。

ヤゴの抜けがらや、

ウシガエルのオタマジャクシもいました。

本日ゲットしたお魚たちの「お品書き」です。
外来種以外は、子どもたちにたっぷりと撫でられた後、また柳瀬川にお帰りいただきました。
「元気でね」
みなさん、楽しかったですか?
[ウキゴリくん]
[ #73 ] 2010.07.04. Sun 19:02
7月4日(日)
朝霞市上内間木と田島の水塚を、調査員15名でたずねました。

下見で訪問した「殿様」のお宅の後たずねたのは、屋号が「だいじん(大尽)」というお宅。
やっぱり内間木はすごい。
「殿様」宅と同じように屋敷地全体を高く土盛りしてあります。
「古い家は土盛りしてあるのですぐ分かる」とのことです。
納屋の脇に当時の舟が保管してありました。
明治43年(1910)の大洪水の時には母家の床の上を舟が通った。昭和16年(1941)の時は門の坂の途中まで水が来たそうです。

田島の黒目川ぞいの旧家です。
写真の右端に見える垣根の中に、宗岡(志木市)にもあるような古い蔵がありました。
屋号を「にひち(二七)」と言い、2と7の日に、黒目川からの舟荷を新河岸川の舟に積み替える仕事していたそうです。
今は黒目川の土手が高くなってそれほど実感はありませんが、かつては、川から見ると聳えるような高さにあったことをうかがわせます。
内間木と同じようにやはり宅地全体が高くなっていて、特に「水塚(みづか)」という認識は無いようでした。
冬場の農閑期になると、「もっこ」で土を運び上げ少しずつ盛るのがお嫁さんの仕事だったそうです。
今まで訪問した、南畑(富士見市)・宗岡(志木市)・内間木と田島(朝霞市)ですが、隣接し同じ荒川と新河岸川に挟まれた環境にもかかわらず3地域とも、水塚という視点からそれぞれ違った特徴が見られ、興味深いです。
[ウキゴリくん]
朝霞市上内間木と田島の水塚を、調査員15名でたずねました。

下見で訪問した「殿様」のお宅の後たずねたのは、屋号が「だいじん(大尽)」というお宅。
やっぱり内間木はすごい。
「殿様」宅と同じように屋敷地全体を高く土盛りしてあります。
「古い家は土盛りしてあるのですぐ分かる」とのことです。
納屋の脇に当時の舟が保管してありました。
明治43年(1910)の大洪水の時には母家の床の上を舟が通った。昭和16年(1941)の時は門の坂の途中まで水が来たそうです。

田島の黒目川ぞいの旧家です。
写真の右端に見える垣根の中に、宗岡(志木市)にもあるような古い蔵がありました。
屋号を「にひち(二七)」と言い、2と7の日に、黒目川からの舟荷を新河岸川の舟に積み替える仕事していたそうです。
今は黒目川の土手が高くなってそれほど実感はありませんが、かつては、川から見ると聳えるような高さにあったことをうかがわせます。
内間木と同じようにやはり宅地全体が高くなっていて、特に「水塚(みづか)」という認識は無いようでした。
冬場の農閑期になると、「もっこ」で土を運び上げ少しずつ盛るのがお嫁さんの仕事だったそうです。
今まで訪問した、南畑(富士見市)・宗岡(志木市)・内間木と田島(朝霞市)ですが、隣接し同じ荒川と新河岸川に挟まれた環境にもかかわらず3地域とも、水塚という視点からそれぞれ違った特徴が見られ、興味深いです。
[ウキゴリくん]