[ #38 ] 2009.11.23. Mon 11:56
[ #37 ] 2009.11.23. Mon 11:44
11月22日(日)
志木のまちご案内 ~志木駅から新河岸川へ昔を訪ねて~
志木のまち案内人の会主催で、第1回目の「 志木のまちご案内」が開催され、参加しました。案内人も含めて30名ほどの参加者で、志木駅前から新河岸川に向かって歩きました。
時折小雨舞う寒い天候でしたが、案内人の名調子につれられ、楽しいまち歩きとなりました。
私? 私は例によって新河岸川沿いの、江戸・昭和・平成の三代の堤防を自慢してまいりました。

写真は、志木市本町通に面した「朝日屋原薬局」。母屋などの主要部分は明治45年(1912)に建築され、平成15年(2003)7月に国の登録有形文化財になっています。
当主の東京薬科大学名誉教授・原昭二さんに案内して頂きました。
間口2間、奥行き約50mという敷地に、明治から昭和初期の老舗薬局の店構えと建物構成がよく保存されており、屋敷の一番奥まで見学させて頂きました。そして「普段は開けてはいけないと言われている」裏木戸から裏通りに抜けました。
店舗の看板と大黒柱にケヤキ材が使われている他は、もっぱら黒松が使われており、「建築にあたって、飯能の山をひとつ丸ごと買った」と伝えられているそうです。
また、店頭のガラス戸は、大正時代にアメリカから初めて輸入された板ガラスが使われており、原さんによると「当時ものもが1枚も破損することなく今日も使われているということは、当時は砂利道で石が飛び跳ねたこともあっただろうことを考えると奇跡的で、なにか先祖からのメッセージのようなものを感じる」とのことです。
「朝日屋原薬局」は、甲州街道と日光街道のバイパスの役目をもっていたかつての「奥州道」に面しており、江戸時代からの新河岸川舟運で多いに栄え、二七の市が開かれるなど多くの人々で賑わっていました。
そんな往時の繁栄を実感することができる、まち歩きでした。[毛利]
志木のまちご案内 ~志木駅から新河岸川へ昔を訪ねて~
志木のまち案内人の会主催で、第1回目の「 志木のまちご案内」が開催され、参加しました。案内人も含めて30名ほどの参加者で、志木駅前から新河岸川に向かって歩きました。
時折小雨舞う寒い天候でしたが、案内人の名調子につれられ、楽しいまち歩きとなりました。
私? 私は例によって新河岸川沿いの、江戸・昭和・平成の三代の堤防を自慢してまいりました。

写真は、志木市本町通に面した「朝日屋原薬局」。母屋などの主要部分は明治45年(1912)に建築され、平成15年(2003)7月に国の登録有形文化財になっています。
当主の東京薬科大学名誉教授・原昭二さんに案内して頂きました。
間口2間、奥行き約50mという敷地に、明治から昭和初期の老舗薬局の店構えと建物構成がよく保存されており、屋敷の一番奥まで見学させて頂きました。そして「普段は開けてはいけないと言われている」裏木戸から裏通りに抜けました。
店舗の看板と大黒柱にケヤキ材が使われている他は、もっぱら黒松が使われており、「建築にあたって、飯能の山をひとつ丸ごと買った」と伝えられているそうです。
また、店頭のガラス戸は、大正時代にアメリカから初めて輸入された板ガラスが使われており、原さんによると「当時ものもが1枚も破損することなく今日も使われているということは、当時は砂利道で石が飛び跳ねたこともあっただろうことを考えると奇跡的で、なにか先祖からのメッセージのようなものを感じる」とのことです。
「朝日屋原薬局」は、甲州街道と日光街道のバイパスの役目をもっていたかつての「奥州道」に面しており、江戸時代からの新河岸川舟運で多いに栄え、二七の市が開かれるなど多くの人々で賑わっていました。
そんな往時の繁栄を実感することができる、まち歩きでした。[毛利]
[ #34 ] 2009.11.14. Sat 22:49

水塚(みづか)の土盛りのことを「ジンギョ」「ジンギョウ」または「ジンヨウ」などと呼ぶお宅があります。
「お宅はジンヨウが高いから安心だ」とか、土盛りを築くことを「ジンヨウする」「田んぼの土をモッコで担ぎ上げて『ジンギョ』をした」などと言います。
この「ジンギョ」「ジンギョウ」「ジンヨウ」とは、もともとどういう意味なのでしょうか。??
志木の上流域にあたる川島町で『水塚調査報告書』(1995)が発行されていますが、そこにもこのことが触れられています。川島町でも「ジンヨウ」と呼び、吉川町や三郷市では「ジンギョウ」と呼ぶことが紹介され、「『ジギョウ』『ジギョウツキ』から派生した呼び方ではないか」と指摘しています。
しかし、そもそも「ジギョウ」「ジギョウツキ」がどういう意味なのかは書いてありません。また、カタカナ表記なので意味を類推することもできません。?????
江戸時代に書かれた農書に解明の手がかりを見つけました。
ワイド版岩波文庫『百姓伝記(上)』(2001 古島敏雄校注)の「巻四 屋敷構善悪・樹木集」「屋敷取善悪の事」に「家を作る処、地形(じぎょう)を高くしてしつけのささぬやうにすべし」と書かれているのを発見しました。さらに、「地形」について校注者が脚注で「建築にとりかかる前に地面をならしかためること。じがため」と解説しています。
ふむふむ、なんだか分かったような気がしてきたぞ。
さらに『日本国語大辞典』(小学館 1980年版)で調べてみました。
「じぎょう【地形】(2)地面をならし固めること。建築物の礎石や基礎を支えるために、その下を割栗(わりくり)などでつき固めること、あるいはつき固めたもの。地がため。地つき」と、あります。
な~~る! まてよ、もしかしたらこの言葉、建築業界では一般常識なのかも。そして「割栗」って何ですか?
だれか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えください。[毛利]
[ #32 ] 2009.11.09. Mon 22:33
11月8日(日)
上宗岡の細田さん宅訪問記
(写真:徳留彰紀)
大正6年生まれ、もうすぐ93歳になるという叔父さん夫妻がわざわざ小川町から駆けつけ、水塚や昔の暮らしについて話してくださいました。
「言うことを聞かないとこの倉に入れられてね。この“土戸(つちど)”を閉められると真っ暗でね」「お袋が出しに来てくれた」「泣いちゃったね」
「この倉には思い出がある」
「ここにくるとね、これを一回りしないと帰れない。必ずぐるっと一回り点検しないと帰れない」
「私は次男坊だったから跡を継げなかったども…、こうやって残してくれてありがたい」「この年まで生きていたので、皆さんにお話ができる。ありがとうございます」
つきない昔話に、こちらもグッと引き込まれ、時間が経つのも忘れてしまいました。
近くでジョウビタキがヒッ、ヒッ…と鳴いています。[毛利]
上宗岡の細田さん宅訪問記

大正6年生まれ、もうすぐ93歳になるという叔父さん夫妻がわざわざ小川町から駆けつけ、水塚や昔の暮らしについて話してくださいました。
「言うことを聞かないとこの倉に入れられてね。この“土戸(つちど)”を閉められると真っ暗でね」「お袋が出しに来てくれた」「泣いちゃったね」
「この倉には思い出がある」
「ここにくるとね、これを一回りしないと帰れない。必ずぐるっと一回り点検しないと帰れない」
「私は次男坊だったから跡を継げなかったども…、こうやって残してくれてありがたい」「この年まで生きていたので、皆さんにお話ができる。ありがとうございます」
つきない昔話に、こちらもグッと引き込まれ、時間が経つのも忘れてしまいました。
近くでジョウビタキがヒッ、ヒッ…と鳴いています。[毛利]