[ #30 ] 2009.10.18. Sun 21:46
[ #28 ] 2009.10.18. Sun 21:25
10月4日(日)
本日は調査員14名と志木市教育委員会の職員2名で、6軒のお宅を訪問しました。

明治38年に建てられた細田家の水塚です。
水塚の入り口は「富士の吹き下ろし」や台風の風向きを考慮して辰巳の方角(東南)に造られているとのこと。「富士の吹き下ろし」という言葉は初めて聞きましたが、ご存じの方はいらっしゃいますか?

細田家の舟です。長さ5m弱で、昔のままの状態で納屋に吊されていました。この他に、田の作業をおこなう「田押し舟」もありました。

明治23年に建てられた、内田家のレンガ造りの水塚です。
東京駅や赤坂離宮の建設に使われたレンガを生産した日本煉瓦製造会社が、渋沢栄一により深谷に設立されたのが明治20年。まさに当時最新の建築資材を使っています。
14代目当主により、現存する「外倉」「内倉」と呼ばれる2棟の水塚や母屋が保存改修され、私設博物館という印象をもちました。

大正12年の関東大震のときに崩れ、建て替えられた細田家の水塚。
明治43年の大水害時には、母屋の神棚の下まで水がきたそうです。昭和16年の洪水では、荒川の土手に避難し一晩過ごしたという体験談も伺いました。
「田んぼの土をモッコで担ぎ上げて『ジンギョ』をした」と、水塚の土盛りのことを「ジンギョ」と表現されていました。この言葉は他のお宅でも聞きました。[毛利]
本日は調査員14名と志木市教育委員会の職員2名で、6軒のお宅を訪問しました。

明治38年に建てられた細田家の水塚です。
水塚の入り口は「富士の吹き下ろし」や台風の風向きを考慮して辰巳の方角(東南)に造られているとのこと。「富士の吹き下ろし」という言葉は初めて聞きましたが、ご存じの方はいらっしゃいますか?

細田家の舟です。長さ5m弱で、昔のままの状態で納屋に吊されていました。この他に、田の作業をおこなう「田押し舟」もありました。

明治23年に建てられた、内田家のレンガ造りの水塚です。
東京駅や赤坂離宮の建設に使われたレンガを生産した日本煉瓦製造会社が、渋沢栄一により深谷に設立されたのが明治20年。まさに当時最新の建築資材を使っています。
14代目当主により、現存する「外倉」「内倉」と呼ばれる2棟の水塚や母屋が保存改修され、私設博物館という印象をもちました。

大正12年の関東大震のときに崩れ、建て替えられた細田家の水塚。
明治43年の大水害時には、母屋の神棚の下まで水がきたそうです。昭和16年の洪水では、荒川の土手に避難し一晩過ごしたという体験談も伺いました。
「田んぼの土をモッコで担ぎ上げて『ジンギョ』をした」と、水塚の土盛りのことを「ジンギョ」と表現されていました。この言葉は他のお宅でも聞きました。[毛利]