活動報告など日々のニュースを綴ります。ご自由にコメントをお寄せください

日々河童のつづら

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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9月29日(火)

江戸時代の堤防
天田代表と二人で大東文化大学に出前授業に伺いました。
環境創造学部の授業の第一回目。天田代表は会の活動と都市の川について、私は志木まるごと博物館「河童のつづら」について話しをしました。[毛利]
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9月27日(日)
こもれびのこみち斜面林の手入れ

ツリフネソウ
ちょっと遅れて目的地に着くと、トンボ池でカワセミの写真を撮っているおじさんがいました。
「この池はコイが多くて困る。コイを釣って新河岸川に放してやった」とか「クチボソやタナゴを放すとカワセミが捕りに来る」と自慢気に話してくれました。
「親子でトンボを捕っているのがいた。ギンヤンマが卵を産もうとしているのに、トンボがいなくなる。とっちゃダメだと言ったら怒って帰っていった」
「せっかく小魚を放してもみんなコイが食ってしまう。困ったものだ」……
まだまだ話を聞いていたかったのですが、話し好きのカワセミおじさんと別れて本日の本題・手入れ作業に。

ツリフネソウが咲く新河岸川の堤防のり面。まずはゴミ掃除。自転車や家財道具をゲット。

アレチウリ
新河岸川の堤防。ここでもアレチウリが斜面を覆っていました。実の棘とも格闘しながらバリバリとアレチウリの除去。おしゃべりを楽しみながら作業を進めました。[毛利]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「『たたき』は、このあたりで採れる粘土に塩かにがりを混ぜてつくってある」
9月6日に水塚調査でうかがったある旧家で聞きました。
この「たたき」は食べられません。蔵の土間のことです。

そういえば「たたき」は確か「三和土」と書くはずと思い出し、帰宅後早速インターネットで検索。便利な世の中になったものです。

「『たたき』って何か、というと『土間』のことです。なぜ、『三和土』と書くかというと土と苦汁(にがり)と石灰の3つを混ぜて使うからです。」
[もく(木)の会のHPより]
http://www.mokunokai.jp/activity/tataki1.htm

さらに[Yahoo!百科事典:中村仁氏執筆]によると、「たたき」は、「三和土」の他に「叩き」「敲き」とも書いてあります。

なるほど、なるほど。

宗岡地区の荒川堤外では良質の粘土質の土(荒木田土)が採れたようで、この土が三和土や壁土、瓦や煉瓦の原料として「売れた」そうです。
「土ににがりを混ぜてよく叩いて」土間や水塚の土盛り、庭としたとのこと。

ちなみに、1680~1710年頃に書かれたと推察されている江戸時代の農書『百姓伝記』(ワイド版岩波文庫、古島敏雄校注 2001より)にも「土間」について書かれている部分があるので以下に引用します。

土座(土間)をば、へな土・ねば土(粘土質の土)を以こねつけ、ぬるべし。五穀のこき・こなしを土座にてせねば、はかゆかず。庭、やわらかにしては、穀物にごみ・あくた・土の落入らぬようにすべし。

以上、「たたき」情報でした。[毛利]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9月6日に水塚(みづか)を訪問したおりに、蔵の壁に等間隔に並んだL字型の釘が話題になりました。

田中家の折釘
「あれはなんでしょう?」と、蔵の所有者にお聞きしましたが「大工さんに確か教えてもらった記憶があるが忘れてしまいました」とのこと。

「物をかけておく釘か?」
「火事の時にはしごをかけるんじゃないか?」
「いや、修理のときに使うのかも知れないよ」
などと色々な意見が出ましたが不明のまま。

御当主にも「私も知りたいのでまた聞いておきますよ。わかったら連絡します」
とおっしゃっていただき、お別れしました。

帰宅後、ホームページなどで調べてみると、それは「折釘(おれくぎ)」と呼ばれていることがわかりました。
用途は特に限定的な目的があるわけではなく、漆喰壁の蔵づくりだと後から釘を打ったりの加工ができないのであらかじめ取り付けてあるもののようです。

用途は、
(1)農具などをかける
(2)土蔵の壁の塗り替えや屋根の補修をするとき足場を組む
(3)火事のときには火消しが屋根にあがる足掛かりにする
(4)装飾的な意味合い
などがあるそうです。

後日(9月13日)、廃屋になった水塚を見学する機会があり、折釘を見ると、太い柱にがっちりと打ち込んであるのがわかりました。

廃屋の折釘

なるほど、「折釘」への疑問から、様々な知恵を凝縮して建てられている「蔵」の奥深さを実感することができました。(合掌)
[毛利]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9月22日(火・国民の休日)
アレチウリ除去作業に参加しました。
曇り空で、作業には都合の良い天気でしたよ。

柳瀬川
東武東上線の鉄橋と志木大橋の間の柳瀬川の河川敷、右岸側に降りたところです。
アシやイヌムギ、オギ、セイバンモロコシ、イヌキクイモなどが茂っていました。左に見えるのは志木ニュータウンの建物。

カヤネズミの巣
セイバンモロコシの葉の中にカヤネズミの巣発見!

除去跡
前回19日(土)にアレチウリを除去した場所。ご覧のように植物がなにも生えていません。

アレチウリ
今の時期は、このようにアレチウリが育って河川敷全体を覆う状態になっています。
このような状態になる前の7月から8月にかけて除去する方がより効果的なのです[天田さん談]が、今年は都合で9月になってしまいました。最悪、種が熟す前には除去しないと効果がありません。

茎を切る
ここまで育った群落を除去するには、まず、筋状にアレチウリの茎を切っていきます。

はがす
そして、他の草の上を覆ったアレチウリを引きはがします。

実
アレチウリの種にはこのような鋭い棘があります。除去作業時には軍手を二重にしたりゴム手袋を使用するなど、棘が刺さらないよう工夫が必要です。

クルクル
そして、絨毯を巻くようにぐるぐると巻き取ります。
といっても、根が張っていたり、他の草と絡んでいたり、種の棘が刺さったり、そして何より力が必要で、思っていたよりかなり重労働でした。

作業を一休みしていると、アレチウリの小さな花に多数のチョウやニホンミツバチが来ていることに気がつきました。ニホンミツバチに比べて少し大きく黄色気味のセイヨウミツバチもけっこう来ています。
ミツバチ

さらに、アレチウリの固まりの下からこんなものも!
ガマガエル
ちょっと眠そうなガマがエルくんです。

作業へのちょっとしたプレゼントですね。

今回は5名の参加者でしたが、次回はもっとたくさんの参加を期待しています。
作業後のビールは、格別ですよ。お疲れ様でした!![毛利]


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9月13日(日)
水塚(みづか)現地調査(その2)
今回は先方の都合で、特別調査です。市教育委員会の職員1名と調査員5名が参加しました。
15代目という73歳のご主人と、奥様に案内して頂きました。

水塚
周りをヤダケという種類の篠竹やエノキ、カシノキ、サカキ、マツ、シュロなどの屋敷林に囲まれた2階建ての水塚。
「終戦後おばが住んでいた」という水塚の中には神棚が祀られていました。
明治43(1910)年の水害時には水塚の半分くらいが水没したそうです。かつては納屋に舟も備えてあったそうですが、ご主人の記憶では「使ったことはない」とのことで、現在は処分してしまったとのこと。
また、水塚の隣には2~30年前まで「シモヤ(下屋?)」と呼ばれる小屋があり、スクモ(籾殻)を入れ、サツマイモなどの貯蔵を行っていたとのことです。

砂井戸
庭先に小さな井戸があったので、奥様に伺ったところ、「砂井戸」という浅い井戸で、水田の灌漑などに今でも使っているとのことでした。浅い地層から汲み上げるために水と一緒に砂もあがってくるのでこの呼び名なのだだそうです。

裏のヤダケ(矢竹)は、水塚の土盛りの補強の働きとともに、建築材に使ったり、ご主人がスダレを制作して販売もしていたそうです。後で聞いたら、竹製のスダレは高級品とのことでした。

インタビュー終了後は、途中、廃屋となった水塚を観察するなど道草を食いつつ、最後は志木市役所前の「旧村山快哉堂」でお茶をご馳走になりながらまとめをして解散となりました。[毛利]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9月6日(日)
水塚(みづか)現地調査(その1)
残暑の中、16名の調査員が参加しました。本日は5軒のお宅を訪問しました。いずれも江戸時代から続く旧家です。

水塚の説明
最初に訪問したお宅は、現在造園業を営むTさん宅。天明年間の墓碑がある旧家で、当主のTさん(65歳)は16代目だそうです。現在は「若い者」が住むという水塚の前で。

Tさんのお宅がある場所は宗岡の中でも高い地区でしたが、明治43年の関東平野全域が水没したという大水害の時は水が大人の背丈くらいになったそうです。

橋
母屋から水塚に避難するための「ケヤキ製の橋」
300年くらい前のものだそうです。Tさんが子どもの頃はよく磨かれていて黒光りしていたそうです。

水塚の2階
Kさんのお宅では、水塚の中を見学させていただきました。急な階段を用心深く2階にあがっているところです。
水塚の広さは3間×2間で12畳くらい。1階には米、2階には衣服や布団がしまってあったそうです。水塚のすぐ隣には、みそや梅干し用の瓶などの日用品をしまっておく「オロシ」と呼ぶ物置もあったそうです。「オロシ」とは水塚の蔵に比べて気軽に日用品を出したりしまったりできる物置とのことで、棚卸しの「卸し」のような意味あいでしょうか。

記念撮影
Oさんのお宅の水塚の前で記念撮影。
明治43年の水害時には水塚の現在の漆喰壁と石壁の境のところまで水がきたそうです。壁の塗り替え前には水の跡が残っていたそうです。
納屋に保存されていた舟(長さ4.75m)も見せていただきました。

「聞き取り調査っておもしろいですねーーー!」
思わず調査員の一人が言いました。水塚をきっかけに、昔の知恵や言葉に触れる今回の宗岡訪問。私もすごく興味を惹かれました。
説明して頂いた皆さん、本当にありがとうございました。次回が待ち遠しいです。(毛利)



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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